弊社のアドベントカレンダー12/16の記事です。
2022年の年末に読みそれから今でも、心の片隅におきながら仕事をしている『人が成長するとは、どういうことか』という本の一部の話をしたいと考えています。
インテグラル理論は「成人発達論」を扱っており、大人が成人後も思考と行動が発達していくと捉えて発達段階を定義し、次なる発達を得るためには、何が必要かを論じている理論です。この理論の出会いと、日々の仕事の中での活用に関して書かせてください。
インテグラル理論との出会いとそれを何故アドベントカレンダーに書こうとしているか
私は実用書が好きで、適当にそれっぽいタイトルの本は、amazonで表紙買いすることが多く、この『人が成長するとは、どういうことか』も同様に表紙買いをした本で、認知心理学のようなものだと思って、購入した書籍になります。
そのため、「エビングハウスの忘却線」のような話に始まる、人類の知能が扱える記憶や抽象のような話を想定していたのですが、実の所この本は、心理学から哲学にはみ出した書籍であり、私の人生において、初めて現代哲学に触れる機会となりました。
科学的に実証が可能ではない対象に向けての学問となるため、破綻のない綺麗な構造と理論がしっかりと演繹的に構造化され説明されていく内容に感銘を受けながら、実家に帰る飛行機にて夢中になって読んだことをおぼています。
演繹的な思想の中で「生と死」がありその2点を結ぶプロセスを「成長」として捉えて理論が展開されたこと、すなわち成長とは「死」といかに向き合うことであるかという概念にとても感銘を受けました。
具体的な内容は割愛するのですが、この理論構造にかなり納得し、「なるほど、人生のゴールは死の受容であり、最終的にこれに向けて人々はそれぞれの時間を過ごしているのだな」という実感が強く湧き、これ以降、「いかに善く死を迎えるか」ということについて考える機会が増えました。
この一見遠回りな思考が、自分の仕事の心の支えとして大きく寄与していると感じております。ただ、これを日々の1on1のような場所で「死について考えると思考深まるんですよ」のように言うことも難しい(おおよそ、仕事のしすぎを心配されることが予想される)ため、ゆるいポエムも許されるアドベントカレンダーの枠を借りて、言語化しておきたいなと思っております。
私がインテグラル理論を介して得たマインドセットを2点 + ハードスキルに論拠として組み入れている箇所を紹介します。皆様の辛かったり苦しかったりモヤモヤする状況を再解釈する一つの視点、もしくは現代哲学 | トランスパーソナル心理学への好奇心の一助になればと思っています。
前提としてここで主張するマインドセットは、個々人のものであり、同僚であれ、家族であれ、特定の考え方を推奨するものでは決してありません。あくまでkameikeがインテグラル理論にどう支えられているのか?をお伝えしたいと思っております。
「苦手なヤツ」に変わる自分を受容できる
私がインテグラル理論から授かった一つ目のマインドセットは、「自分が嫌だったものに自分が変わっていくこと」を穏やかな心で受け入れるというものです。
スタートアップで働く中で重要なスキルとして「アンラーニング」が挙げられるように、スタートアップで働く中で変化についていくために、今までやってきたことや考え方を捨てる機会が多くあります。事業が成長したり変化する中で、数年も在籍すると大体脳の細胞が全部入れ替わっているような感じで考え方や仕事の仕方が変わっているように感じます。
自分の仕事のやり方を変える中で、ハードスキルが増え、自分のスキルアップや成長につながると理解できる箇所に関しては、楽しく進むことができます。一方で事業の変化が強要してくる変化はそれだけではありません。 事業の成長と変化の中で、自分がそこまで好きではない、自分にとって「苦手なヤツ」に変化する必要に迫られる機会があります。例えばkameikeの場合であれば「成果を喧伝する」など自身のパーソナリティが苦手とする振る舞いや、「論拠を持たずに決める」など普段の思考パターンから外れるような行動です。
このような変化は、往々にして気持ち良いものではなく、「社のミッションの達成及び、事業成長」以外の理由づけを持つことができないと、自己犠牲・自己欺瞞の感覚につながってしまいます。この自己の変化に対する意味付けをkameikeはインテグラル理論を用いて補完しています。
具体的にどのような補完かというと「自己の変化」はインテグラル理論では「統合」と表現されます。そしてインテグラル理論で統合すべきは、自分がともすると嫌悪するような、今まで関わらなかった「苦手なヤツ」(≒インテグラル理論でシャドウと表現されます)も含めて統合していくことが良い成長を促すとされています。
そのため、今までと違う考え方が必要になった際に、「価値観を変える」ではなく、「観点を増やし、新しい観点を受容し統合する機会」と解釈することで、自己にとっても良い機会だと捉えることができております。
変化の多いスタートアップで働く中で、今までうまくいっていたことを、今までうまくいっていた通り進めるとき、苦しかったり辛かったりする時期が訪れます。このような辛い目に遭う際には統合の機会と捉えて臨むことで、振り返ると確かに今まで大切にしていた考え方が、新しい観点と無事統合しているようでなんとかかんとかやってきた & これからもやっていけそうに感じています。
「パッとしない時期」を愛せる
私がインテグラル理論から授かったもう一つの考え方は、人のパフォーマンスは想像以上に変動性が高く、この変動には寄り添う価値があるものだという確信です。
インテグラル理論における成長は、自己の相対化/深化であり、ビジネス的な成長や成功(≒スキルを身につけ自分のパフォーマンスを高めること)ではありません。そのため、インテグラル理論において、発達の過程において内向的になり「ビジネス」の観点では能力が低下する「パッとしない時期」も発達の上でとても重要なプロセスだと評価されています。
この過程を認知してから、人が発達していく過程に生じる「パッとしない期間」を自身のパフォーマンスや他者のパフォーマンスに織り込む価値を感じるようになりました。これにより、自分自身が塞ぎ込んだり、パフォーマンスが出ない時期に対しても一定寛容になることができるようになった他、同僚や上司、チームメンバーのパフォーマンスのボラティリティに対してもかなり寛容になったなと思います。
また、この「パッとしない時期」はビジネスでは「キャリア迷子」などと評され、どちらかというと脱すべきネガティブな状態として捉えられます。しかし個人の発達においてはかけがえのない自己を相対化するプロセスの中にいる、大局的にはポジティブな状態であり、その時期は次の外向けの成長(≒ビジネス的な成長)を作る礎になっていると感じています。
(ちなみに、上記偉そうに書いて、なんとなく人格者っぽい読み口になっていますが、今期の360FBでは、超要約すると「人の気持ちに寄り添うのが苦手」というFBもいただいているので、まだまだ途上であり頑張っていきたい所存です)
ハードスキルとのリンク
マインドセット的なものを二つ書きましたが、何かしらのハードスキルや知識とのリンクで感じていることも書きます。
『人が成長するとは、どういうことか』読了以後、私の中で現代哲学に対するプチブームがあり、この本が説明してる「インテグラル理論」などを提唱したケンウィルバーの書籍を読んだり積んだりして過ごしていました。「ティール組織」などの理論もインテグラル理論を組織運営に適用したものとして提唱されており、組織論を理解する中での基礎となっていると感じています。
また「すべては正しいが、部分的である」を原理とするインテグラル思想は、適応的な開発の考え方はmanagement3.0の「全て間違っているが、いくらかは有用である(All is wrong, but some is usefull)」や統計における格言である「All models are wrong; but some are useful」などの考え方などにアナロジーを持ちやすいと感じており、お互いの思考の持つインサイトを補完し合っていると感じています。
加えて、あまりビジネスと関係ないため、余談ではありますが、インテグラル理論は「死」について人がどう振る舞うかの考えを深めるため、「メメント・モリ」のような芸術のモチーフとなる概念を読み解くヒントにもなるなと感じており、芸術作品のコンセプトを読みとりやすく、作家に対する共感性が上がったように感じます。
そんな感じで、インテグラル理論と私について書きました。皆様の何かの参考になる or インテグラル理論の興味のきっかけとしていただければ
ある程度ポエム的な文章を書く機会が欲しく、今年はアドベントカレンダーを2記事書く想定です。後半何を書くかはまだ決められていませんが、引き続きポエティックにやっていきたいなと思っています。